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名古屋高等裁判所 昭和28年(ネ)364号 判決 1954年12月28日

控訴人・被控訴人 原告 大野澄

訴訟代理人 星野国次郎

被控訴人・控訴人 被告 伊藤藤右衛門

訴訟代理人 田中一郎 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

第一審原告の昭和二十四年五月二日以降昭和二十八年一月二十九日迄年五分の割合による金員の支払を求める予備的請求を棄却する。

控訴費用は各控訴人の負担とする。

事実

第一審原告代理人は第一審原告勝訴の部分を除き原判決を取消す、第一審被告は第一審原告に対し金八十五万二千五百円及之に対する昭和二十八年一月三十日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え、若し右金額が認容せられず履行期の価格による金額が認容せられるものとすれば第一審被告は第一審原告に対し履行期の価格による金額の外に之に対する昭和二十四年五月二日以降完済迄年五分の割合による金員を支払うべきことを予備的に請求する、訴訟費用は第一、二審共第一審被告の負担とするとの判決並担保を条件とする仮執行の宣言を求め、且第一審被告の控訴棄却の判決を求め、第一審被告代理人は第一審被告勝訴の部分を除き原判決を取消す、第一審原告の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審共第一審原告の負担とするとの判決を求め且第一審原告の控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は左記の外原判決事実摘示と同一であるから之を引用する。

第一審原告代理人の陳述、

一、本件損害賠償額は本件土地建物の現在価格によるべきものである若し履行期の価格によるの外なきものと仮定するならば其の履行期の価格の外に之に対する履行期の翌日なる昭和二十四年五月二日以降完済迄年五分の割合による損害金の請求は是認さるべきであるから右金員の支払を求める。

二、調停条項第一項にある代金七千五百円は第一審原告が第一審被告から借用した金銭債務があり其の為め本件土地建物は第一審原告の所有なるに拘らず之が第一審被告の所有名義になつていたので、借用金は支払い所有権は元に戻すということから定められた金額であり土地建物の価格として定めた金額ではない。

第一審被告代理人の陳述、

一、調停条項によれば本件土地建物は金七千五百円で売買の契約が為されたが(右価格は当時の時価を参酌したものであつて安価ではなかつた)其の契約履行期においては右土地建物は鑑定価格によるも五十万円を超ゆるものであつて異常な騰貴率である、従つて右契約が仮に訴外三枝樹敏子と第一審原告との間に成立したとしても其の契約の履行を強制することは衡平の原則に反し売主を不当に害する結果となり事情変更の原則に従つて契約当事者が契約解除の権利ある事例なることは明かである、右調停において訴外三枝樹敏子に対しては契約は無効である為め右事情変更の原則に従つて三枝樹敏子から契約解除を為す必要も余地もないが、若し三枝樹敏子の無権代理人として第一審被告に契約の履行、損害賠償等の責任を追及される場合には、第一審被告としては当然三枝樹敏子が契約有効の場合行使し得べき事情変更の原則による解除権を行使し得べきものと謂わなければならない。

証拠として第一審原告代理人は甲第一号証ノ一乃至三、同第二号証ノ一乃至六を提出し原審における証人大野久子の証言、鑑定人高木博吉、柘植鉦太郎の各鑑定の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、第一審被告代理人は乙第一乃至三号証、同第四号証ノ一、二、同第五、六号証を提出し、原審における証人三枝樹茂の証言、第一審被告本人訊問の結果(第一、二回)、鑑定人柘植鉦太郎(一部)、平松義一の各鑑定の結果、当審証人鈴木貢、西村潔、三井竹三郎の各証言を援用し甲号各証の成立を認めた。

理由

成立に争なき甲第一号証ノ二によれば申立人第一審原告(以下単に原告と称す)、被申立人第一審被告(以下単に被告と称す)及訴外三枝樹敏子、参加人訴外片岡弘間の名古屋区裁判所昭和二十年(ノ)第三五号所有権移転登記手続調停事件につき、昭和二十一年五月一日愛知県海部郡津島町片岡町二百七十一番地片岡弘方において調停主任判事鈴木貢、調停委員三井竹三郎外二名、裁判所書記若杉鈴栄列席の上調停委員会が開かれ、原告親権者大野久子、右代理人弁護士久田量馬、被告及参加人各出頭し、被申立人三枝樹敏子は不出頭にして、被告を右三枝樹敏子の代理人なりと表示し、当事者間に成立せる調停条項として一、三枝樹敏子は原告に対し原判決添付目録記載の土地建物を一括して代金七千五百円にて譲渡することを約し昭和二十四年五月一日之が所有権を移転し且直に所有権移転登記手続を為すべく原告は右所有権移転登記手続完了と同時に三枝樹敏子に対し右代金を支払う旨二、三枝樹敏子は原告に対し昭和二十四年五月一日限り右土地建物を明渡す旨其の他原告主張通りの条項を定めた調停調書が作成されたことを認め得る、然るに三枝樹敏子は右調停条項第一、二項の期限なる昭和二十四年五月一日に至るも其の履行をしないので原告は右調停調書に基く強制執行に着手したところ、三枝樹敏子は原告に対し、同敏子は被告に対し右調停を為す代理権を授与したことがないから被告を代理人として成立せしめられた右調停は敏子に対して無効であるとの原因に基き右調停調書の執行力の排除を求むる訴を名古屋地方裁判所に提起し、同裁判所昭和二四年(ワ)第四五三号和解契約無効確認等請求事件として繋属したが、右訴訟は第一、二審共被告(伊藤藤右衛門)は敏子から代理権を与えられていなかつたから原告(大野澄)と敏子間の右調停は無効であるとして敏子の請求を認容する判決が言渡され右は確定したことは当事者間争がない、そこで右調停において被告は敏子の代理人であることを表明して右調停を成立せしめたものであるかどうかについて審理するに成立に争なき甲第二号証ノ一乃至六、原審証人大野久子、当審証人鈴木貢の各証言によれば被告は敏子から右調停期日において調停を成立せしむる代理権を与えられていなかつたのに拘らず後で敏子の承諾が得られるものと軽信し調停委員会に対し敏子の代理人である旨表明し調停主任判事から敏子の委任状を提出するよう求められ後日之を提出する旨了承し前記の如き調停条項を承諾し調停を成立せしめたことを認め得る、成立に争なき乙第三号証及当審証人鈴木貢の証言によれば甲第一号証ノ二前記調停調書の被告の署名部分の肩書の「被申立人」なる記載は右調書を作成記載した裁判所書記若杉鈴栄が記入したものであるが、右肩書中「被申立代三枝樹敏子代理人兼」なる記載(被申立代とあるは被申立人の誤記と認められる)のみは右書記が記入したものではなく調停主任判事鈴木貢が記入したものであることが認められる、そして調停が成立した場合裁判所書記が申立人、被申立人、親権者、代理人等の肩書を記載し其の下に当事者が署名するのが通例であることに鑑みれば被告が右調書に署名するときは其の肩書に「被申立人」とのみ記載されていたのに其の後に「被申立代三枝樹敏子代理人兼」なる肩書の記載が補充されたものと推測される、然し右の代理人たる肩書が被告の署名の時に表示されてなくて後に補充されたとしても前記の証拠によれば前記の如く被告は右調停期日において三枝樹敏子の代理人たることを表明し調停委員会も、原告の債権者たる大野久子其の他の列席者等何れも被告の代理権を信じ被告を被申立人であると同時に三枝樹敏子の代理人として調停を成立せしめたことが認められるのであるから其の実体に即して署名者の肩書の記載を補充したのに過ぎないものと認められる、被告は被申立人たる被告個人として自己に関係ある調停条項に賛同したのであつて三枝樹敏子の代理人として同人の関係部分の調停条項に賛同する意思はなかつたし又右調停委員会において三枝樹敏子の代理人であることを表明して調停を成立せしめたものではないと主張するけれども此の点に関する成立に争なき乙第六号証、原審における被告本人訊問の結果(第一、二回)は措信し難い、次に原告の親権者たる大野久子は右調停成立に際し被告が敏子の代理権を有せざることを知つていたかどうか或は之を知らなかつたことにつき過失があつたかどうかを考えるに成立に争なき乙第一号証、同第四号証ノ一によれば昭和二十一年三月五日の第九回調停期日において敏子の夫なる三枝樹茂は敏子の代理人として出頭し調停主任判事に不動産売却の調停については之を拒否する旨申述べたことを認め得るし、又前記乙第一号証及成立に争なき乙第二号証によれば昭和二十一年三月二十七日の第十回調停期日には右茂は予め名古屋区裁判所調停係に宛て同期日には不出頭の旨並に敏子の意見は従来と変りがないから不動産売却の調停には応じられない旨を葉書で申出でたことを認め得べく、尚成立に争なき乙第五号証によれば最後の昭和二十一年五月一日の調停期日については敏子にも茂にも右期日の通知はなかつたことが認められる、然し既に証拠によつて説明した通り前記最終の昭和二十一年五月一日の調停期日においては調停委員会も原告の当時の親権者大野久子も被告の代理権を信じて調停を成立せしめたのであつて此の点については右調停成立に際し被告は敏子の委任状を提出しなかつたことは前記の通りであるが前記の如く被告は調停主任判事から敏子の委任状を提出するよう求められたのに対し後日委任状を提出する旨言明したことが認められるから列席していた原告親権者大野久子も之を信じた次第であり更に成立に争なき甲第一号証ノ三、同第二号証ノ六、乙第一号証、乙第四号証ノ一、乙第五号証(一部)によれば被告は敏子の実兄であり本件宅地建物は被告が敏子に贈与したものであつて之が処分に関しては被告は自ら敏子に対して発言権の重きを為す関係にあつたこと、昭和二十年十月十二日の第三回調停期日について敏子は予め名古屋区裁判所調停係に対し葉書を以て右期日には出頭し兼ねるが右期日における調停については何事も被告に委任しある旨を申出でていること、昭和二十年十一月一日の第四回調停期日は敏子方で開かれたのであるが、右期日に被告は出頭せず敏子は被告に委せてあるので自分では話が出来ない旨を述べ其の日は調停が進められなかつたこと等が認められるのであるから、昭和二十一年五月一日の最終の調停期日において被告が敏子を代理する旨申出でたのに対し調停委員会が被告の代理権を信じ前記の如き本件宅地建物に関する被告と敏子との関係から被告が敏子を代理して調停を進めるのを適当と思料し其の代理を許容して調停を進めた次第であつて上記の事情によれば被告の委任状がなかつたとはいえ調停委員会を信頼していた原告の親権者大野久子が被告の代理権を信じたことについて何等の過失のとがむべきものはない。

以上の如く被告は敏子を代理すべき権限を有せざるに拘らず敏子の代理人として前記調停を成立せしめたのであるから民法第百十七条第一項によつて原告に対し損害を賠償すべき義務があるかどうかについて考える、現行民事調停法においては同法第二十二条、第二十三条、民事調停規則第八条、非訟事件手続法第六条、第七条、民事訴訟法第八十条の規定により代理権は書面によりて証明すべきことが要請されているが本件調停当時の各種調停法規においては代理権は書面によりて証明せらるべき明文は設けられていなかつた、然し調停は其の法律上の性質が非訟事件であるから明文なしと雖も前記非訟事件手続法第六条、第七条、民事訴訟法第八十条の準用により代理権は書面によつて証明せられることが必要であつたのである、然るに前記調停においては委任状の提出がなかつたことは前記の通りであり其の他代理権を証明すべき書面の提出があつたものと認むべきものはない、甲第一号証ノ三葉書は甲第二号証ノ一、二、乙第四号証ノ一、乙第五号証によれば敏子が昭和二十年十月十二日の第三回調停期日における調停のみに付て被告に委任した書面と認められるのであつて、昭和二十一年五月一日の前記最終の調停期日における被告の代理権を証すべき書面とは認められない、されば右最終の調停期日において成立したとされる前記調停は書面による代理権の証明なくして行われたものであるから既に此の点において被告が敏子の代理人として為した調停上の代理行為は調停行為として無効であつて従つて私法上も亦無効であると謂わなければならない、然し書面による代理権の証明の欠缺の為調停上の代理行為として無効であつてもかかる行為を為したこと自体に対しては被告は民法第百十七条第一項所定の無権代理人の責任を負わなければならない、そこで其の損害額について案ずるに前記調停条項は被告の代理権欠如の為原告と敏子間において無効であるが若し之が有効であつたとすれば原告は昭和二十四年五月一日金七千五百円を支払うことによつて本件宅地建物の所有権を取得した筈であつたのに之を取得することが出来なかつたことの損害即ち其の当時の本件宅地建物の価格から右支払うべき七千五百円を控除した金額を被告は賠償すべき義務があるものと謂わなければならない、蓋し通例無効な契約を為さしめられた者が蒙る損害は無効な契約を為すにつき空費した費用等の如きものであるが民法第百十七条は特に無権代理人の責任として「履行又は損害賠償」の責に任ずべき旨を規定しているから誤信者をして履行と等価な賠償を得しむる法意も亦之を包含するものと解すべきであり従つて前記の如く調停条項に定められた履行期当時の価格によりて賠償額を定めるのが相当である、そして原審における鑑定人柘植鉦太郎の鑑定の結果によれば右調停の履行期である昭和二十四年五月一日当時における本件宅地建物の価格は五十一万三千八百七十円であることが認められる、原審鑑定人平松義一及高木博吉の鑑定の結果は採用し難い、されば被告は原告に対し右五十一万三千八百七十円から原告が支払うべかりし七千五百円を差引いた金五十万六千三百七十円を賠償すべき義務がある、原告は被告は本件宅地建物の現在価格八十六万円から原告が支払うべき七千五百円を控除した金八十五万二千五百円を賠償すべきであると主張する、成程前記鑑定人の鑑定の結果によれば本件宅地建物の価格は昭和二十四年五月一日の履行期後更に騰貴し昭和二十八年六月当時既に原告主張の価格以上に達し現に尚其の価格を維持していることが認められるけれども右の如き騰貴した価格による得べかりし利益喪失による損害は原告が右の如く価格の騰貴した時に本件宅地建物を保有していて之を他に処分することにより右騰貴した価格による利益を着実に収め得た筈であつたという特別の事情を当事者が予見していたか或は予見し得べき状態にあつたものでなければ之を認容することは出来ない、然るに右の如き特別事情のあつたことについて何等之を認むべき証拠はないから原告が前記認容せらるべき金額以上に現在の騰貴した部分の金額迄損害賠償として請求するのは失当である。

次に被告は被告の損害賠償債務は不法行為に基くものであるから敏子が右調停は無効であるとの和解契約無効確認等の訴を提起し其の訴状が原告に送達された昭和二十四年七月二十二日から三年を経過するとともに消滅時効が完成して被告の債務は消滅したと主張するけれども原告の本訴請求は民法第百十七条所定の無権代理人に対する損害賠償請求をしているのであつて同条による無権代理人の債務は不法行為による損害賠償義務ではないから被告が不法行為の時効を採用するのは失当である。

更に被告は本件宅地建物の価格の著しき騰貴は異例に属し事情変更の原則によつて被告は本件調停による本件宅地建物の譲渡契約を解除すると主張する、成程終戦直後の昭和二十一年当時から昭和二十四年当時迄の間に物価は異常な騰貴を来たし本件調停においても調停当時原告が本件宅地建物の譲渡を受けるにつき支払うべき金額は七千五百円と定められていたのが其の履行期の昭和二十四年五月一日当時は前記の如く本件宅地建物の価格は五十万円を超え六十倍乃至七十倍程度に達しているが右の如き価格の変動があつたからと言つて債務者が事情変更により契約の解除権を有するに至るものとは認め難い。

原告は調停において定められた履行期である昭和二十四年五月一日当時の本件宅地建物の価格五十一万三千八百七十円から七千五百円を控除した五十万六千三百七十円が被告の賠償すべき損害額であると認められるならば右金額に対する昭和二十四年五月二日以降年五分の遅延損害金を被告は支払うべき義務があると主張する、然し被告の右債務は前記の如く不法行為を原因とする債務ではないから損害発生の時から直ちに債務者が履行遅滞に在るものではない、民法第百十七条の無権代理人の損害賠償債務は其の請求があつてから遅滞に陥るものと解すべきであるから原告の遅延損害金の請求は原告が右損害賠償の請求を為したことが明らかである本件訴状送達の翌日即ち記録上明白な昭和二十八年一月三十日以降の分についてのみ認容せらるべきであり此の点に関する原告の予備的請求は之を棄却すべきである。

然らば原判決が原告の本訴請求中金五十万六千三百七十円及之に対する昭和二十八年一月三十日以降年五分の割合による金員の支払を求むる部分を認容し其の余の請求を棄却したのは正当であり之が変更を求むる原告被本件の各控訴は何れも理由がない。

仍て本件各控訴を棄却すべく民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条に従い主文の如く判決する。

(裁判長裁判官 中島奨 裁判官 石谷三郎 裁判官 県宏)

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